本文へスキップ
文字サイズ

楽歌の城攻め見聞録 第1話

川越城の遺構を半日で歩く
— 現存する本丸御殿と、深さ7mの空堀

埼玉県 川越市 関東七名城 公開 2026.09.16

川越と聞いて思い浮かぶのは、蔵造りの街並みと芋スイーツ。たぶん、それで合っています。

でもこの街には、徳川家康が「ここだけは絶対に落とされてはいけない」と考えたお城が、いまも遺構として残っているんです。しかも、半日あればぐるっと回れてしまう距離に。

というわけで、朝9時の開館に合わせて出発してきました。お城から始めて、小江戸の街へ降りていく順番です。歩いてみたら、この順番がなかなか気持ちよかったので、所要時間まるごとお届けします。

この記事でわかること読了 約10分

  • 川越城にいまも残っている遺構と、それぞれの見どころ
  • 本丸御殿から各スポットまでの実際に歩いた時間と、半日ルートの組み立て方
  • 混雑を避けられる時間帯と、かかるお金

今回の旅行ルートと所要時間

区間徒歩滞在の目安
本丸御殿約60分
本丸御殿 → 中ノ門堀跡4〜5分約30分
中ノ門堀跡 → 菓子屋横丁約20分約20分
菓子屋横丁 → 抹茶あらた約5分約25分
菓子屋横丁 → 時の鐘5〜10分約20分

ぜんぶで4時間ちょっと。9時に歩き出して、13時前にはひと回りできました。かかるお金は本丸御殿の100円と、あとは食べた分だけです。移動はすべて徒歩で足ります。

行くなら月曜日は避けましょう

本ルートでは、月曜定休・休館の箇所が多いです。中ノ門堀跡にも公開時間(9:00〜17:00)があるので、曜日と時間だけ先に確認しておくと安心です。

川越城って、どんなお城?

まずは地図を眺めてみてください。川越城が建っているのは、武蔵野台地のいちばん北の端 ── 東に荒川、北に入間川。つまり、川と湿地が勝手に堀の役目を果たしてくれる場所なんですね。

だから戦国時代、ここは関東の覇権を左右する要衝になりました。江戸時代には「江戸の北の守り」を任されます。

面白いのは、ガチガチの軍事拠点でありながら、同時にとても賑やかな経済都市でもあったこと。大きな川に囲まれていて、しかも軍事拠点だから治安がいい。ということは、川を使った水運と商売が安心してできる、ということです。「江戸の台所」と呼ばれるまでになりました。

ちなみにこのお城、別名がふたつあります。初雁城(はつかりじょう)霧隠城(きりがくれじょう)。霧隠城のほうの由来は、記事の後半でご紹介します。かなりロマンのある話です。

「県指定史跡 川越城跡」と刻まれた石碑。緑に囲まれた園路のそばに立つ。
県指定史跡「川越城跡」の石碑。かつての城域は、いまは初雁公園と住宅街になっています。

いまも残っている遺構

遺構いまの姿
本丸御殿玄関部分が現存、家老詰所は移築復元。公開中
中ノ門堀跡2008〜2009年度に復元整備。公開中
富士見櫓跡跡地として木々の生い茂る高台が残る
霧吹きの井戸川越市立博物館の前庭に移築され現存

遺構① 本丸御殿 — 全国に2つだけの現存御殿

川越城本丸御殿の正面外観。大きな唐破風の玄関と、深い庇の瓦屋根。
本丸御殿の玄関。この堂々とした唐破風が、現存している部分にあたります。

入口で靴を脱いで上がります。この瞬間、毎回ちょっと変な緊張感があるんですよね。江戸時代の家臣もここで履物を脱いで、心の準備をしたのかな、なんて。

この御殿ができたのは嘉永元年(1848年)。川越藩主・松平斉典(まつだいら なりつね)による造営です。

ここはきちんと書いておきますね。いま公開されているのは、現存している玄関部分と、移築して復元された家老詰所です。 御殿まるごとが残っているわけではありません。面積でいうと、かつての敷地のおよそ8分の1、建坪なら6分の1ほどだそうです。

それでも、本丸御殿が残っているお城は全国にふたつだけ。もうひとつは高知城の「懐徳館」で、あちらは御殿全体が現存しています。つまり川越城は、東日本で唯一ということになります。そう考えると、この100円はなかなかの破格です。

家老詰所 — 江戸時代の役員会議室

家老詰所の再現展示。三人の家老が書類を広げて評定する場面が人形で再現されている。
家老たちの評定の場面が、人形で再現されています。

川越藩の家老が政務を執っていた部屋です。会社でいえば、幹部役員の会議室にあたるでしょうか。

ではお殿様は何をしていたのかというと、江戸時代には参勤交代がありますから、藩にいない期間のほうが長いんですね。だから政治は、主に家老たちが動かしていました。

それにしても、この部屋の狭さ。ここで藩ひとつぶんの政治を回していたと思うと、ちょっと不思議な気持ちになります。飛行機も電話もない時代に。

中庭 — 地面の瓦が教えてくれること

本丸御殿の中庭。奥にかつて大広間があった方向と、地面に埋め込まれた大廊下の柱跡の瓦が示されている。
地面に埋め込まれた瓦が、当時の大廊下の柱の位置を示しています。

いま中庭になっているこの場所、じつはかつては大廊下でした。その先に大広間があったそうです。

で、庭にぽつぽつと埋め込まれた瓦。これが当時の柱の位置を示しています。建物がなくなった場所を、地面の印だけで読ませる。この展示、地味ですがとても好きです。

大広間 — 天下三名槍「御手杵」に会える

天下三名槍のひとつ御手杵のレプリカ。杵の形をした毛皮の大きな鞘に赤い房が下がる。両脇に甲冑。
御手杵のレプリカ。この独特な鞘の形が、名前の由来です。

大広間には甲冑と、天下三名槍のひとつ「御手杵(おてぎね)」のレプリカが展示されています。もふもふした鞘が、思った以上に大きい。

この槍、もとは下総結城の大名・結城晴朝が作らせたもので、養嗣子であり徳川家康の実子でもある結城秀康に伝わりました。そこから受け継いだのが松平大和守家 ── 川越藩主をつとめた家です。

ただ、本物はもう残っていません。1945年の東京大空襲で、東京・大久保の松平邸の所蔵庫が焼夷弾の直撃を受け、焼失してしまいました。戦火を避けて埋めておくよう命じられていたのに、「お家の宝にそんな扱いはできない」と家臣たちが従わなかったのだそうです。その判断が、結果として仇になりました。

名前の由来は鞘のかたち。中央のくぼんだ持ち手と、ふくらんだ両端が、餅つきの「手杵」に似ているから。言われてみれば、たしかに。

あと、ぜひ天井の梁も見上げてみてください。釘を一本も使わず、木と木が噛み合っています。地震の揺れを、この噛み合いで逃がすんだそうです。日本建築、何百年も前からちゃんとエンジニアリングしてるんですよね。

DATA — 川越城本丸御殿

住所
埼玉県川越市郭町2-13-1
開館
9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館
毎週月曜(祝日の場合は翌日)/第4金曜(祝日を除く)/12月29日〜1月3日
入館料
一般100円 / 高校・大学生50円 / 中学生以下無料 / 障害者手帳等をお持ちの方と介護者は無料
駐車場
隣接する美術館の北側に約20台(障害者用8台)。初雁公園の整備にともない台数が減っているため、公共交通機関の利用が案内されています

※ 川越市公式サイトの情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

遺構② 中ノ門堀跡 — 深さ7m、登る気が失せる空堀

中ノ門堀跡。柵の向こうに草に覆われた大きなV字の窪みが続き、その先は住宅街になっている。
柵の向こうの窪みが堀。その奥は、もう普通の住宅街です。

本丸御殿から徒歩4〜5分。着いてみると、あたりはすっかり住宅街です。

でも江戸時代までは、ここまでぜんぶお城の敷地でした。そう思って改めて眺めると、なかなかクラっときます。

中ノ門堀跡は、深さ約7メートル、幅約18メートルの空堀。水を張らない、掘り抜いただけの堀です。底から見上げると、ビルの2〜3階分くらいの高さがあります。

ここで効いてくるのが、斜面の角度なんですね。攻める側は、重たい甲冑を着て武器を持ったまま、この斜面をよじ登らないといけません。梯子は当然かけてもらえないし、上からは矢が飛んでくる。水堀なら泳ぐという手もありますが、空堀にはそれもない。ただ、登るしかない。……考えただけで、ちょっと無理です。

しかもこの勾配、目分量で作られたものではありません。 川越市が発掘調査にもとづいて当時の角度を復元しているんです。いま目の前にある傾きが、江戸時代に「敵を止めるため」に計算された傾きそのもの、ということになります。

整備されたのは平成20〜21年度(2008〜2009年度)。堀そのものの復元に加えて、説明板とベンチのある見学広場、土塀、冠木門まで用意されています。歩きやすくて、堀のかたちがひと目でわかる。正直なところ、私は本丸御殿よりこちらのほうが「お城に来たなあ」と感じました。

歴史メモ — 河越夜戦との関係

川越城を舞台にした有名な合戦に、1546年(天文15年)4月の河越夜戦があります。日本三大夜戦のひとつに数えられ、8万の連合軍に包囲されたお城を、北条氏康の救援軍が撃退したと伝わる戦いです。

ただ、ひとつ注意を。この中ノ門堀が造られたのは江戸時代になってからで、河越夜戦の当時にはまだありませんでした。堀を眺めながら夜戦を想像すると、時代がずれてしまいます。兵力の数字も伝承の色が濃く、史料によって差がありますので、倍率はあまり真に受けないほうがよさそうです。

訂正 — 動画内の数値について

この記事のもとになっている動画では、中ノ門堀の規模を「深さ約6メートル、幅約30メートル」とご説明していますが、誤りでした。正しくは深さ約7メートル、幅約18メートルです。お詫びして訂正します。

DATA — 川越城中ノ門堀跡

住所
埼玉県川越市郭町1-8-6(本丸御殿から徒歩4〜5分)
公開
9:00〜17:00 / 12月29日〜1月3日は閉園 / 無料
ひとこと
常時開放ではないので、夕方以降は入れません

※ 川越市公式サイトの情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

今回は行けなかった場所

正直に白状します。半日ルートでは、この3か所に行けませんでした。時間に余裕があれば、ぜひ足を延ばしてみてください。

霧吹きの井戸 — 「霧隠城」の由来はここに

敵が攻めてきたときに蓋を開けると、中から霧がもうもうと立ち込めて、お城ごと霧の中に消えてしまう ── そんな伝承が残る井戸です。川越城が霧隠城と呼ばれるのは、この話が理由。ロマンがすごい。

でもこれ、ただの怪談として片付けるのは、ちょっともったいない気がするんです。川越は入間川と荒川に挟まれた低地で、早朝には本当に濃い霧が出る土地なんですね。それを「城を守る霧」として物語に組み込んだのだとしたら ── 地理と民話が溶け合った、なかなか贅沢な話になります。

井戸は川越市立博物館の前庭に移築され、現存しています。本丸御殿のすぐ向かいなので、立ち寄るのは簡単です。……私は御殿ですっかり満足してしまい、見事に忘れました。真相は、みなさんの目で確かめてください。

三芳野神社 — 童謡「とおりゃんせ」発祥の地

住所は川越市郭町2-25-11。本丸御殿と同じ郭町2丁目で、目と鼻の先です。

かつて川越城内にあった神社で、童謡「とおりゃんせ」発祥の地といわれています。 お城の中にあったものですから、庶民は自由にお参りできず、出入りが厳しく管理されていました。「行きはよいよい 帰りはこわい」は、その状況を歌ったものだと伝えられています。

創建は古く、寛永元年(1624年)にのちの城主・酒井忠勝が川越城の鎮守として再建したといわれます。社殿は埼玉県指定文化財です。

富士見櫓跡

川越市郭町2、県立川越高校の南側にあります。

天守を持たなかった川越城が、物見のために櫓を建てていた場所です。建物はありませんが、跡地として木々の生い茂る高台が残っています。中腹には川越城址碑、北側には御嶽神社。前面道路が狭くて近くに小学校もあるので、お車の方は通行にご注意を。

お城のあとは、小江戸で寄り道

歴史パートはここまで。お疲れさまでした、脳みそに。ここからは、お城を回ったあとに寄れるお店です。

4軒とも元町2丁目、菓子屋横丁のまわりにかたまっています。 中ノ門堀跡から横丁まで歩いてしまえば、あとはほとんど移動なしで回れます。ありがたい。

川越ベーカリー楽楽 — みそパンが主役

川越ベーカリー楽楽の外観。「小江戸の和パン」の暖簾と RAKU RAKU の看板。
「小江戸の和パン」の暖簾が目印です。

名物は「みそパン」。このルートでひとつだけ食べるものを選べと言われたら、迷わずこれです。

ただし、ひとつだけ注意を。パンが売り切れ次第、閉店します。 夕方に行って買えるとはかぎりません。午前中をおすすめする理由が、混雑のほかにもうひとつあるというわけです。

DATA — 川越ベーカリー楽楽

住所
埼玉県川越市元町2-10-13(菓子屋横丁内)
営業
9:30〜17:00頃 ※パンが売り切れ次第 閉店
定休
月曜(月曜が祝日の場合は翌日)/臨時休業あり

※ 取材時点の情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

元町珈琲店ちもと — 芋ソフトでひと息

コーンに巻かれた淡い黄色の芋ソフトクリーム。背景は店の外観。
芋ソフト。染みる甘さでした。

自家焙煎の珈琲と芋ソフトのお店です。歩きどおしの脚に、この甘さはよく効きます。さつまいもの甘さって、なんだか優しいんですよね。

ところで、川越のさつまいもが有名になったのには、ちゃんと地理的な理由があります。川越の土は関東ローム層の火山灰土壌で、水はけがいい ── さつまいもの栽培にぴったりなんです。

そしてその芋を江戸へ運んだのが、新河岸川の舟運でした。川越五河岸(扇・上新河岸・牛子・下新河岸・寺尾)から、米・さつまいも・材木・素麺が江戸へ。帰りの舟には、江戸から調度品・小間物・砂糖・お酒が積まれてきます。江戸後期から明治中期にかけて栄え、鉄道が通ると役目を終えました。

行きも帰りも荷がある。だから川越は「江戸の台所」になれたわけです。いま食べている芋ソフトも、その延長線上にあると思うと、ちょっと味わい深い。

DATA — 元町珈琲店ちもと

住所
〒350-0062 埼玉県川越市元町2-3-12
電話
049-226-6969
営業
11:00〜17:30
定休
月曜(祝日は営業)

※ 公式サイトの情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

菓子屋横丁 — 石畳をぶらぶらと

菓子屋横丁の石畳の通り。両側に木造の商店が並び、観光客が歩いている。
菓子屋横丁。石畳と、両側にぎゅっと並ぶ商店。

石畳と蔵造りの街並みを、あてもなく歩きます。午前中は人が少なくて、かなり快適でした。この日は天気がいまひとつでしたが、かえって歩きやすかったかもしれません。

DATA — 菓子屋横丁

住所
埼玉県川越市元町2丁目
営業
お店によって異なります(10時台から開くところが多いようです)

抹茶あらた — 幻の河越茶とは

緑の煎茶塩がまぶされたおこげ揚餅を手に持っているところ。足元は石畳。
煎茶塩でいただく、おこげ揚餅。

ほうじ茶と、煎茶塩でいただくおこげ揚餅。これがなかなか手が止まりません。

ところで、川越がお茶の産地だったことはご存じでしょうか。

南北朝時代の『異制庭訓往来』『新撰遊覚往来』といった当時の教本に、武蔵国の銘茶として「河越茶」の名前が登場します。作られていたのは星野山無量寿寺 ── いまの喜多院にあたる天台宗の大寺院で、当時は学問の中心地でもありました。お茶と学問がセットというのが、なんとも中世らしい。

ところがこの河越茶、戦国時代の混乱とともに姿を消してしまいます。のちに狭山茶として蘇る流れがありますが、その源流にあたるのが河越茶なんですね。現在の「河越抹茶」は、2019年4月26日にNPO法人河越抹茶の会が地域団体商標として登録しています。

お城も、お茶も。川越って、一度消えてまた現れるものが多い街なんです。霧の中に隠れて、また姿を見せるお城の名前と、どこか重なる気がしませんか。

DATA — 抹茶あらた

住所
〒350-0062 埼玉県川越市元町2-9-19(菓子屋横丁内)
電話
049-298-7500
営業
平日 10:00〜16:00 / 土日祝 10:00〜17:00
定休
不定休

※ 公式サイトの情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

川越氷川神社 — 風鈴の下をくぐる

川越氷川神社の縁むすび風鈴。木組みの回廊に色とりどりの江戸風鈴と願い事の木札が吊るされている。
縁むすび風鈴。木札には、それぞれの願いごとが書かれています。

次はどこへ行こうかとふらふら歩いていたら、氷川神社で「縁むすび風鈴」をやっていると聞いて寄り道しました。境内には約2,000個の江戸風鈴。この風鈴の下をくぐる道が、とにかく風流なんです。

ただ、お昼を回るとかなりの人出になります。みんな、縁を結びたいんですね。

DATA — 川越氷川神社

住所
埼玉県川越市宮下町2-11-3
電話
049-224-0589
縁むすび風鈴
2026年は6月27日〜9月6日の開催でした

※ 開催期間は年によって変わります。お出かけ前に公式サイトでご確認ください。

時の鐘 — いまも1日4回鳴ります

蔵造りの屋根越しに見える時の鐘の鐘楼。最上層に鐘が下がっているのが見える。
蔵造りの屋根越しに顔を出す鐘楼。最上層に鐘が下がっているのが見えます。

創建は寛永年間(1624〜1644年)、酒井忠勝によるものと伝わります。

いま立っているのは4代目。明治26年(1893年)の川越大火で焼けてしまい、その翌年に再建されたものです。3重4階建で、総高さは約17.5メートル。昭和33年には市の指定有形文化財になりました。

そして嬉しいことに、鐘はいまも1日4回鳴ります。午前6時、正午、午後3時、午後6時。 時間を合わせて行けば、音まで込みで楽しめます。せっかくなら、狙って行きたいところです。

DATA — 時の鐘

住所
〒350-0063 埼玉県川越市幸町15-7(菓子屋横丁から徒歩5分)
見学
外観は常時見学可
1日4回 — 6:00 / 12:00 / 15:00 / 18:00

※ 取材時点の情報です。お出かけ前に最新情報をご確認ください。

このルートを楽しむコツ

おわりに

地形があって、川がある。だから堀ができて、お城ができました。

お城があるから街ができて、街があるから舟運ができて、舟運があるから文化が積み重なった。芋も、お茶も、霧吹きの井戸の伝承も、ぜんぶその積み重なりの上に乗っています。

「小江戸」という呼び名は、結果であって始まりではないんですね。朝9時に本丸御殿の門をくぐると、その順番のほうから街が見えてきます。

歴史好きにはたまらない遺構がたっぷりの川越城、ぜひ行ってみてください。次回は、同じ埼玉のまったく違うお城へ。水に浮かぶ、難攻不落の城です。